Tumblrの使い道が出てきた
Twitterはその時その時をひたすら呟いたり、仲の良い人達と言葉遊びしたり。
長文がダメなのが逆に文章を考えちゃうから躊躇するし、そもそもTwitterのテンポに合わなくてさ。
こっちで長めの自分の考えをと思う。
Twitterはその時その時をひたすら呟いたり、仲の良い人達と言葉遊びしたり。
長文がダメなのが逆に文章を考えちゃうから躊躇するし、そもそもTwitterのテンポに合わなくてさ。
こっちで長めの自分の考えをと思う。
世紀をひらく 原子の火 寄せる新潮 鹿島灘 このあたらしい 光をかかげ みんなで進む足なみが あすの文化をきずくのだ いばらき いばらき われらの茨城
小学校の頃に暗唱できるほど歌ったけど、知らない間に原発政策を刷り込まれてたんだなと、怖くなった。社会科見学が日本原子力研究開発機構だったしね。
さて、「シクラメンのかほり」に話を戻そう。「かほり」という表記が歴史的に間違いであり、加えてこの花が「かほり」もしないことを長年指摘されて来たの に、何故小椋佳はこの題名を一向に直そうとしないのだろうか。それがこの歌の謎なのである。私もどこかでこの題名の謎を知って、それ以来何となく気になっ ていた。
それがある日、謎が一気に解けたのは、ネット上で小椋桂の奥さんの名前を偶然に知った時だった。何と、佳穂里さんというではないか。佳穂里なら、発音は 「かおり」でも表記上では「かほり」だ。その瞬間、旧かなの間違いを指摘されても小椋桂は「極めて意図的に」これを直さないのだ、ということが分かった。
そう思って、再度「シクラメンのかほり」の歌詞を読み返してみて驚いた。名詞で「シクラメンのかほり」とは言っても、動詞で「シクラメンが香る」とはど こにも言っていないのである。1番に「真綿色したシクラメンほど清しいものはない」2番に「うす紅色のシクラメンほどまぶしいものはない」そして3番に 「うす紫のシクラメンほど淋しいものはない」とあるだけだ。しかもこれらの後にはそれぞれ「出逢いの時の君のようです」「恋する時の君のようです」「後ろ 姿の君のようです」とあって、シクラメンに「君」が見立てられている。つまり、この曲は自分の妻に捧げた愛の讃歌だったのだ。小椋桂にとっては妻の佳穂里 さんは「シクラメンの君」であり、それならばこそ題名は「シクラメンのかほり(=佳穂里)」でなくてはいけなかった。
U2というバンドがある。
ボーカルのボノ、ギターのジ・エッジ、ベースのアダム、ドラムのラリー。
1980年にアイルランドから登場したこの4人組は、卓越した演奏力はさることながら、
ボノの書く、貧困、宗教、国家といった社会問題に切り込む歌詞が反響を呼び、
瞬く間に世界的バンドとなった。
そんな中、1984年に「Pride (In the Name of Love)」という曲が発表される。
この曲はマーティン・ルーサー・キング牧師に捧げられた曲であり、彼の功績を讃えた曲だった。
それまでも様々な団体から圧力や脅迫を受けていたU2だったが、
特に全米ツアーが決まった後は、KKKを始めとする人種差別主義団体から、
大量の脅迫状が届いた。
その内容は、アメリカに入国したら射殺する、Prideを演奏した場合ボノを射殺する、
といったものばかりだった。
ツアーの中止も検討されたが、メンバーたちは
「路地裏の倉庫で練習してたときから、俺たちには失うものなんてなかった」
そう言ってツアー実施を決めた。アメリカに入ると、空港で待っていた地元の警察から、銃撃されるならL.A.だ、との警告を受ける。
「ご丁寧に死の宣告をどうも」ボノは返した。体制の象徴である警官に
大勢で警護してもらうという皮肉も少し可笑しかった。
ツアーが始まり、U2は大小様々な嫌がらせを受けながらも、全米を回り続けた。
そしてついにくだんのL.A.。警備のチーフが駆けつけ、タレ込みによれば明日のライブがヤマだ、
と告げた。ライブ当日、出番を待つメンバーの元に、スタジアムの警備から不審者を確保したとの連絡が入る。
銃を持ち込もうとした人間が複数、取り押さえられたとのこと。
スタジアム内にライフルが持ち込まれる可能性も指摘された。
これにはメンバー、スタッフとも青ざめ、ライブ中止、せめてPrideをセットリストから
外すことが提案された。
しかし、ボノはなんとしてもPrideを歌うと決めていた。いよいよステージに上がり、熱狂的なパフォーマンスを繰り広げたU2。
問題のPrideを演奏し始める。メンバー4人にかつてない緊張が走る。
ボノは力の限り歌った。一人の男が現れた、愛の名の元に
一人の男が現れ、そして去った
一人の男が現れた、正すため
一人の男が現れた、覆すため
愛の名の元にスタジアムには数万人の観客。見晴らしは良く、自分はステージの中央に立っている。
撃つならこの曲の間だろう。殺そうと思えば簡単だ。
ボノは迫る死を意識し、今までにない恐怖を感じた。
その時、客の中で何人かの男が不審な動きをしたように見え、ボノは思わずしゃがみ込んだ。
いよいよ殺される、ボノは目をつぶったが、歌声だけは精一杯張り上げた。
そして曲も後半に差しかかり、ボノが恐る恐る顔を上げると、目の前に1人の男が背を向けて
立っていた。
アダムだった。
彼はベースを弾きながらボノの盾となって仁王立ちしていたのだ。「あの夜、あそこで見たヤツの背中を、俺は一生忘れない」
2006年、3度目のノーベル平和賞候補に選ばれたボノは、そう語った。
35 :おさかなくわえた名無しさん :2010/10/05(火) 16:43:34 ID:Pq97tSvW
横須賀ドブ板通りで、立ち飲み居酒屋をやってる爺さんの店をテレビで取材してた。
場所柄、米兵と日本人が半々ぐらいの客層らしい。
ある日、日本人の酔っ払いが来店して、黒人相手に喧嘩を吹っかけたらしい。
店主は、しばらく様子を見ていたが、あまりに酷いので、その日本人を追っ払った。
すると黒人の客が、「俺は黒人だから、追い出されるのは俺だと思った。」と言ったそうだ。
店主は、「あんたは何も悪い事してないのに、何で追い出すんだよw」って言ったら、
その黒人は、泣いて感謝して、それからもよく通ってくれたそうだ。
屈強な黒人米兵が、爺さん相手に泣いてる所を想像したら和んだ。
と同時に、彼にそこまで言わせる人種差別も、まだ根強いんだな。
this is the test posting
バインダー無くした、どうすればいんだー - 浅井健一